生に色、死に華
祖母が死んだ
コロナ禍でもあり、3年前くらいに元気な姿で家族写真を取ったのが
私の記憶に残っている最後になってしまった
「最近、物忘れが酷くてね。ハウロや、ちょっと来ておくれ」
「私ももう長く無いね」
「いやだなぁ。長生きしておくれよ」
そんな掛け合いを中学くらいの頃からコントのように繰り返していたものだ
両親が共働きでもあり、二世帯住宅だったこともあり
小学校の放課後、入り浸るように茶菓子とお茶を飲みながら
大相撲を見ながら、日々同じような話題で日々を過ごしていたものだ
私は、ばあちゃん子だったと思う
お袋の味よりも、お婆ちゃんの味で育てて貰った記憶が強い
ナスの薄焼きとか、好物でした。ほんとに
時々口煩く言われたこともあったけれど
今思えば、それはきっと当たり前に出来ていなければならないことで
自分に子どもが出来て、自分の子どもを抱いて
自分もまた誰かに守って貰って来たのだと
気付くのはこういうタイミングで
与えられる愛は、それが当たり前だと思っていて
私は何かを返せていただろうか
黙祷を
お婆さんと呼ばれると歳取った気がする。と言って
おばちゃんと呼ばせた愛しい貴女に哀悼を
日々はただ過ぎていく
得難い何かを得て、また得難い何かを失って
もうすぐ、今日が終わる